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人に歴史あり~人生初のライヴ

2017年 01月12日 21:58 (木)

昨日に引き続き、●●年前の今ごろはこうだったシリーズ。
1994年の今ごろにやった、ロドの初ライヴのことを書こうかと・・・思ったのだが、過去の日記を調べてみたら3年前の今ごろに既に書いてました。同じこと・・・
うむ。多いね。この、初めて書くと思っていたら実は前にも書いていたパターン・・・
そういうこともあるわな。この日記自体が始めてから長いから。

改めて説明すると、歌わせてくれるバンドを探そうとしていたロドリゲスが当時ある音楽雑誌に投稿した縁で、「楽器を触ったことない人達がバンドを組んでライヴをやってみよう」的な企画に出ることになったのだ。
最終的に4~5バンドが組まれたな。
あたしはこの時点でバンドは全く未経験だったね。
そもそも何で始めたのかもわからない。
あ、あたしがバンドを始めたきっかけは、もてたかったからという理由になっているはずだ。

こうして組まれたメンバーは全員が10代から20代前半。代々木にあるスタジオでなぜか深夜パックで毎週練習したんだけど、ほとんど学校みたいだったな。
教えてくれる人がいるんだけど、その人たちもあたしと同年代だったし。
ま、そんなこんなで、なんとか原宿クロコダイルのライヴにこぎつけたってわけです。

初ライヴ

そのときの写真。

この初ライヴの時にですね。「俺に何もこわいものはない」っていう、それまでに全く味わったことのない感情を味わったのだ。
今じゃ考えられんわ。
若かったのかな。


ロドリゲス
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人に歴史あり~ハリー・ロドリゲス最終回

2014年 11月10日 17:29 (月)

昨夜はゴーゴートップレスさんのイベント@東高円寺UFO Clubに行ってきた。
GGTLさん(正式な略称は「ゴートプ」らしい)は、一言でいうと言葉では形容しがたいバンドでした。
キャスバリズムも対バンで呼ばれてました。かずおさんは相変わらず良い感じでした。

我々ハリーも、今月20日に巣鴨 獅子王に急遽出演が決まりました。
出番はトップです・・・


2011年の暮れ。
ロドリゲスは極東のハリーの活動の合間をぬって再び岡山を訪れ、Mo:GLAというライブハウスでStone Misler(ドラム)はじめ地元のバンドマンの協力のもとライブを行った。
Stoneと共作した曲を初めて客前で生で披露した。
ライブは非常に温かい雰囲気で行われた。
「いっそのこと岡山に移住してくれば?」
という声も客席からもらいロドリゲスは悦に入った。
2014年春にも同様のライブが岡山で行われた。
無難にこなしたものの本人曰くミスの連発だったというStoneは、自戒の意味をこめて「ストーン・ミスラー(Stone Misler)」と名乗り始めた。

気がついたら、もう4回も岡山を訪れていたロドリゲス。
岡山に来るのもこれが当分最後という思いでいた。
そして2014年12月・・・
その岡山を再びロドリゲスが訪れる。



というわけで、来月にロドリゲスが岡山に行ってやる曲がネットにもいくつかUPされているので紹介を・・・
訳詞も下に抜粋しました・・・

December(2006)
「昼も夜も 12月の寒さは増すばかり
逃げ出そう この喧騒から。でも逃げ場がない
イエスの誕生日に祈りを捧げて
聴こえるのは鐘の音だけ。まがいものの鐘。なんで全てが嘘に見えるのか」


Birthday(2005)
「誕生日なんて嫌々ながらに歳をとらされる拷問みたいなもんさ。
空を見上げ、星になって地球を見下ろしてみたいと願う。
痛い思いをせずに死ぬことが出来たら、その時に祝うよ。」


Congratulations and Rest in Peace(2008)
「永遠の眠りにつくあなたのそばには、涙を流してくれる人がいる
それは素晴らしいこと。良い人生を送った証だ
おめでとう。そして安らかに眠ってください
痛みも苦しみもさようなら」



ロドリゲス

人に歴史あり~ハリー・ロドリゲス⑩

2014年 11月09日 12:39 (日)

昨夜は立川のA.A.Companyというライブハウスに行っていた。
「石坂屋」さんという、おもに昭和歌謡をやるバンドのワンマン・・・
昭和歌謡と言えば我らがマン牛。
実は、この石坂屋のメンバーお2人が、先日の武蔵境Stattoでマン牛を観てくれたのだ。
「昭和歌謡に昭和歌謡でお返し」みたいな。
いや~楽しかった。演目はアン・ルイスや山口百恵、そして八神純子!
つぼでしたね。
というわけで、この「歴史あり」も佳境です・・・



思えば、Stone Misler(ストーン・ミスラー)が住む岡山に一度も来たことがなかったロドリゲス。
どんなところだろうと、ずっと興味は抱いていた。
新幹線の改札を出ると、Stoneが待ち受けていた。
かなり久しぶりの対面であった。
「はるばるよう来たな」
Stoneは地元で人気のラーメン店にロドリゲスを連れて行った。
翌日、Stoneがロドリゲスを連れて訪れたのは、彼が足しげく通っているCafe Soho
音響設備が充実し、レコードやCDが多く置いてあり、週末になるとライブをやる、地元の音楽好きが集まる場でもあった。

Stoneが送ってきた、彼がドラムを叩いている写真は、ここで撮られたもののようだ。

「明日、ここでライブイベントをやるんやけど出~へん?」
こうして、ロドリゲスはエリック・クラプトン好きのマスターと、Stoneとで、クラプトンの曲のカバーを数曲披露した。

岡山を初めて訪れたロドリゲスは、同地に非常にポジティブな印象を持った。
Stone Misler(ストーン・ミスラー)の車の中でロドリゲスは言った。
「こんなに良い故郷があるのに、なんで東京なんかに来たいと思うんだろう」
お世辞ではなく、心底の言葉であった。
「東京の人間にはわからん」
それがStoneの答えであった。


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ロドリゲス

人に歴史あり~ハリー・ロドリゲス⑨

2014年 11月08日 15:36 (土)

近くにまたカフェができまして、初めて行ってきました。
こないだは西八王子arcadiaのSさんに「ご近所でいいカフェがあったら教えてください」と聞かれた。
カフェをやってる人にカフェを教えるっていう。
まあ、そんな感じです。
今回の「人に歴史あり」は、もっとザックリ進める予定でしたが、予想外の反響をいただいているので、ちょっと細かい話も加えました・・・



ロドリゲスとStone Misler(ストーン・ミスラー)の曲を聴かせたことがきっかけでスタートしたRayとの共作。
「Walk on the Sand」「レイザービーム」と次々と曲ができ、ロドリゲスの旧友axnを加えて極東のハリーが始動した。
そんな2008年の春ごろ、ロドリゲスはStoneとスカイプで話をしていた。
「あの曲かっちょええ」
Rayとロドリゲスの共作をStoneは既にネットでチェックしていた。
「そうか。まあいい感じにできてるな」
「ギターがええ。うちに入れたいぐらいや」
ギターとはRayのことであった。
「いや、もう3人でバンド組んだから」
「そうなんや。何てバンド?」
「極東のハリー」
「何やそれ」

こうしてロドリゲスの活動の比重は、Stoneとの共作から極東のハリーに移った。
2008年7月の極東のハリー初ライブに、Stoneはスタッフとして立ち会った。
2010年にStoneはスーパー・モデルという曲をハリーに提供したこともある。

ハリーの新宿スモーキンブギのライブにも訪れたStoneだが、彼の傍らには、あの懐かしい周さんことベーシストYも座っていた・・・
Stoneはロドリゲスがハリーでコンスタントに活動しているのを喜んだ。
自分もまたプレーヤーとしてステージに上がれるよう、ドラムを始めたという。
そして、ドラムスティックを持ちながら座っている、見慣れない光景を収めた写真がメールで添付されてきた。
「元気そうにしているのは何よりだ」
そうロドリゲスは安堵していた。

それから間もない2011年・・・
ロドリゲスは岡山駅にいた。



ロドリゲス

人に歴史あり~ハリー・ロドリゲス⑧

2014年 11月07日 15:51 (金)

たくさんのコメントをありがとうございます。
「きみはもう人気ブロガーだ」とStone Mislerに言われましたが、まだまだそんなもんじゃありません。



Stone Misler(ストーン・ミスラー)が久々に出してきた曲はエレクトリック感満載であった。
きしくもロドリゲス自身の誕生日が近く、よって「Birthday」という曲名になった。
ロドリゲスは当時中野区に住んでいたStoneのマンションに押しかけ、風邪で寝ていたStoneを叩き起こして「Birthday」という曲のボーカルを録音させた。

2006年になった。ロドリゲスはJunk Yard Monkeyを脱退した。
そしてStoneはやむなき事情で故郷の岡山に帰ることになった。
しかし、ロドリゲスとStoneの共作活動は続いた。
かつてのように同じ部屋でボーカル録りをすることはできないが、ロドリゲスが御茶ノ水で購入したMTRでボーカルを録り、ファイルをStoneに送るというスタイルが確立された。
Stoneも作曲機材を一新し、音のクオリティも格段にUPした。
かなりのペースで曲ができていった。

こうして、2008年の初めぐらいまで共作活動は続いた。
しかしStoneが岡山に帰った今、これらの曲でライブができるとは、ロドリゲスはもう考えていなかった。
創作のペースが落ちてきた頃に、ロドリゲスはネットを通じてRayという人物と知り合い、Stone Mislerと共作した一連の曲を聴かせた。
これが極東のハリーの始まりである(極東のハリー結成秘話1)。



ロドリゲス