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ヒストリー26

2016年 03月03日 13:03 (木)

いよいよ今日ですな。
我々は逃げも隠れもしません(当たり前か)。
夜8時40分から、荻窪クラブドクターでやります。

んでもって、ヒストリーも今日で最終話になりました。
ついこないだの話が出てきますが、ここまで来たらお付き合いください・・・(笑)



2015年12月3日、荻窪クラブドクターにて夕陽ヶ丘と極東のハリーの「実写版ナンバー☆ナイン 2マンやっちゃうよ~の巻」が開催された。
それぞれのバンドが50分演奏。先に夕陽ヶ丘が出演した。彼らの50分はあっというまだった。
極東のハリーはレパートリー全8曲を披露し、Rayを送り出したのだった。

さて、それまでの間に、ハリーの「その後」について様々な案が巡らされた。
ロドリゲスは一瞬、ハリーをたたむことも考えたが、最終的に下した結論は、当初は冗談程度に念頭に置かれていたアイデアだった。
2011年に脱退したギタリストaxnを呼び戻す。

突然のオファーに驚きを示したaxnだが、再びハリーとともにプレーすることになった。
オリジナルメンバーが1人去り、かつて去って行ったもう1人のオリジナルメンバーが入れ替わりに帰ってくるというわけだ。

ハリー・ロドリゲス、Gorgeous Bathroom Junpei、上野俊明、そしてaxnの4人は2015年秋からリハーサルを重ね、いよいよ今日、荻窪クラブドクターにて、新生極東のハリーがベールを脱ぐ・・・



ロドリゲス
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ヒストリー25

2016年 03月02日 13:13 (水)

トリオアナル

GBJ生誕祭から、最後の写真です。
やっと本人が出てきた。「アナル・ダイナマイツ」のライブ。
GBJは我々を含めいろんな人と一緒にプレイしているが、やはり、なかはまさん(写真右)こそが「相棒」って感じがします。

さて、ヒストリーも大詰めを迎えました。



ベースが加わった極東のハリー。
その気になれば完全に生バンドでいける状態になり、バンドの意気は上々であるかに思えた。
しかし、この2015年の夏、極東のハリーは結成以来最大の激震に見舞われる。
7月初旬、Rayから他のメンバーにメールが宛てられた。
ハリーからの脱退を告げるものであった。
おもな理由は、かねてからのモチベーションの翳りが、バンドの活動に支障をきたしかねないレベルになってきたことだという。
ロドリゲスは慰留したが、本人の意志は固かった。

Rayが脱退をメンバーに伝えた時点で、極東のハリーは10月までライブ予定が入っていた。
決まっているライブは全力で務めるとRayは約束してくれた。
本人の希望で、脱退は最後のライブまで公にしない方向であったが、兼ねてからハリーとの2マンを提案してくれていた「夕陽ヶ丘」には伝えた。
夕陽ヶ丘のギターボーカル、ノブ氏は、Rayのラストを兼ねて12月あたりに2マンを行う提案をしてきた。
Rayも快諾し、Rayのハリーでの最後の雄姿となる2マンは12月3日の荻窪クラブドクターに決まった。



ロドリゲス

ヒストリー24

2016年 03月01日 14:56 (火)

武蔵境トシオ

GBJ生誕祭の写真が続きます。
最近お会いすることが多い山崎トシオさんです。
「赤羽のロック王子」とあたしが勝手に異名をつけました。

さて、昨夜はハリー初ライブ前の最後のリハーサルでした。
まあ、いいところに転がって落ち着いたんじゃないでしょうか。あとは野となれ山となれという感じです。

HISTORYも後半を迎えました・・・



ベーシストの参加についてGBJとRayに異存がないことを確認したロドリゲスは、ハリーのレパートリーである8曲を入れたCDを上野氏に送った。
しかし問題が。
Rayが木曜日しか空かず、なかなか全員でスタジオに入る機会がない。
4人揃ってのスタジオは断念し、上野氏とGBJ、ロドリゲスの3人でスタジオに入った。
最初に合わせた曲は「レイザービーム」であった。
ひととおり曲をさらってきたという上野氏のプレーに、ロドリゲスは即「これはいける」と感じた。

しかし、4人で合わせたいのだがいかんせん都合が合わない。
そんな中、Rayが驚くべき提案をした。
「リハーサルなしでいきなり本番でも大丈夫じゃないですか?」

かくして、2015年2月26日。武蔵境Stattoで開催のGBJ生誕イベントが、ぶっつけ本番の場となった。
Rayと上野氏はこの時が初対面。
上野氏はハリーのライブの後半から参加し、無難にステージを務めた。
4人全員でスタジオに入ることが1回もないまま、ハリーは再びライブ活動を頻繁にこなし始めた。


ロドリゲス

ヒストリー23

2016年 02月29日 17:30 (月)

ナイトロこうじ

これも2/26のGBJ生誕祭から。
「さすらいのスライドギタリスト」ことジョニー・ダイナモさん(左)と、そこに飛び入りした なかはまこうじさん(右)です。
この生誕祭、詳細がなかなか発表されず、ブッキングどうなってるんだろうと余計な心配をしていました。
おそらくGorgeous Bathroomのワンマンになるのだろうと予測したぐらい。

でもって、今日もHISTORYを・・・



もうランチタイムも終わろうかという午後、西八王子「アルカディア」に入店したロドリゲスはカウンター席に座った。
音楽をやっている客同士を紹介するのが好きな店主Sさんは、ロドリゲスの隣で自家製ジンジャエールをすすっていた男性を紹介した。
「ゴーゴートップレス」というバンドのベーシストだという。
聞き覚えのあるバンド名だ。
以前に対バンをしているはず。
そのベーシスト、上野氏も極東のハリーをなんとなく憶えていたようだ。
互いのフェイスブックのアドレスを交換して、上野氏は先に店を後にした。

さて、Rayの環境が落ち着き、2014年暮れにハリーはライブ活動を再開した。
ただし、ライブは木曜日限定となった。
そんな中、ゴーゴートップレスのベース上野氏からロドリゲスにコンタクトが。
「極東のハリーはベーシストを入れないのか」
という問いであった。
「やって下さる人がいたら是非っていう気持ちは多分みんな持ってます」
とロドリゲスはレスを返した。
上野氏は、いくつか掛け持っているバンドの中にハリーを加えることに興味を抱いたようだ。


ロドリゲス

ヒストリー22

2016年 02月28日 18:55 (日)

武蔵境yum

おとといのGBJ生誕祭。
いつもライブ動画をUPしてくれる、おなじみのYumさんも出演しました。
他の出演者が全てギター(時折ドラムも)の方々だったので、キーボードと歌とタブレットから出されるオケ(当たり前なんだろうが高音質)という組み合わせは強烈に異彩を放っていた。驚きました。

というわけで、HISTORYが続きます・・・



2013年夏頃に極東のハリーの新曲ができた。
GBJが提供した原曲を仕上げてできた曲。
「ピンク・ギャラクシー」
曲名の命名者もGBJであった。

年が明け、2014年になった。
ロドリゲスとGBJは、極東のハリーのスピンオフ企画ともいえる昭和歌謡ユニット「マンゴー牛乳」を始めた。
同年1月に高円寺リーフで初お目見えしたマンゴー牛乳は、その後も時折各所でライブを行うようになる。

極東のハリーのライブ活動も順調に進んだ。
2014年の春・夏頃からは、巣鴨 獅子王や荻窪クラブドクターにも出演し始めた。
同年夏のライブでは、以前に対バンで知り合ったMaro of Bubble No.7氏が「音の出ないベーシスト」としてハリーの4人目のメンバーとして出演してくれた。

その後、Rayのプライベートの環境の変化で、ハリーの活動は3カ月ほど空いた。
このころ、ロドリゲスは散歩中に寄った西八王子のカフェ&レストラン「アルカディア」で、ハリーのその後に大きな影響を与える出会いを経験する。



ロドリゲス